タイトルは、日本保育界の父と呼ばれる倉橋惣三(1882〜1955)の言葉です。
倉橋惣三の著書には、学生時代から影響を受けてきました。何度読み返しても新しい気づきや感動があります。保育に留まらず、子どもと関わる際に大人にとって大切だと思う言葉を不定期に紹介していきたいと思います。
泣いている子がある。涙は拭いてやる。泣いてはいけないという。なぜ泣くのと尋ねる。弱虫ねえという。……随分いろいろのことはいいもし、してやりもするが、ただ一つしてやらないことがある。泣かずにいられない心もちへの共感である。
お世話になる先生、お手数をかける先生、それは有り難い先生である。しかし有り難い先生よりも、もっとほしいのはうれしい先生である。そのうれしい先生はその時々の心もちに共感してくれる先生である。
倉橋惣三【育ての心】「廊下で」より
「泣かずにいられない心もちへの共感」
ドキッとする一言ですね。分かっていても自分自身がいっぱいになっている時にこの姿勢が保てないことがあります。大人だってその時々にいろいろな状態がありますが、心にこの言葉を置いておき、心もちへの共感を忘れてしまいそうな時に気付けるといいのかもしれませんね。
共感とは、同じ気持ちにならなくても、その気持ちを理解できなくても、「あなたは今そうなんだね」とそのままのカタチで受け取るということ。
つい口から出てくる言葉が、共感の一言となるように、そのままを受け取るあり方から入ることは常に大切にしたいものです。
「うれしい先生」になれているか。幼稚園教諭時代、自分に日々問い掛け悩みながらこのことに向き合っていました。あの声掛けはよかったか、もっと違うアプローチができたのではないか、と。また、共感のつもりが安易な同調になり、考える主体を奪ってはいないだろうか?「受け入れる」ことを意識しすぎて「自分」がすり減り憔悴したこともありました。
相手と自分の前進を引き出す在り方を探究することで、軽やかに「今」を大切にできる保育を探究し続けることが私のテーマの一つです。
半世紀以上前の文章になりますが、倉橋惣三の時代も現代と同じような大変革の時代だったこともあり、今、また響くものがあると思います。
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【育ての心〈上・下〉】
※倉橋惣三著|『幼稚園真諦』についてブログを更新しています。