梅雨の晴れ間って得した気分になって嬉しいですよね。ところで「雨」に対してあなたはどんなイメージを持っていますか?
雨が降ると残念な気持ちになりますか?
それとも嬉しい気持ちになりますか?
子どもと一緒にいるときに雨が降り始めたら、保育者としてどうするか。
そんなことを考えるとき、この文章を思い出します。
それは、 「育ての心(倉橋惣三著)」の中にある【六月】です
六月
外には雨が降りつづけている。部屋の内は笑い声で晴れわたっている。窓硝子はぬれて曇っているが、子どもたちの顔はみんな明るく輝いている。外からの光でなく、内からの光である。天の太陽は雲につつまれる日があっても、ここの小さい太陽たちは、いつだって好天気だ。
その子どもらに、またしても鬱陶しそうな顔をしてみせるのはおとなだ。なぜこう降るのかと、いっても仕方のないかこちごとをいって、呟いて聞かせるのもおとなだ。
ー子どもは、知らなくてもいいことを、おとなから教えられることが屢々(しばしば)ある。六月の雨だって、おとなが教えなかったら、子どもには少しも苦にならないものであろう。
雨はうっとうしいもの。
雨は嫌なもの。
雨による様々な経験がある大人に、この価値観があることは何ら不思議なことではありません。
しかし、子どもが雨と出会ったとき、雨を経験するとき、大人の経験則や価値観の枠組みの中で感じさせることは残念でもったいないと思っています。
その子ならではの感性で、雨そのものを、雨の日を、雨だから起こることを存分に味わう。
濡れること自体の楽しさ、音の不思議、温度の変化、子どもの興味を引き出す「水」という存在…雨の日は学びの種で満ち溢れています。
つい言ってしまいがちな、「言っても仕方のないこと」 。
大人の何気ない一言や行動が、子どもの興味や探究心を奪うことで、成長を阻害することがあるということ。子どもたちは、大人の “よけいな” 一言や行動がなくても、しっかりと感じて、楽しみを見つけて、心に根を張っていけます。
できるなら大人も「雨との出会い」を味わえるといいのかもしれません。
これまで幾度となく経験してきた事象に対して、新鮮な心もちを持つ。
こういった大人のあり方が子どもの育ちに与える影響は大きなものです。
【子どもは、おとなの言った通りにはしないが、おとなのした通りにはする。】
「そんなこと教えていないのに、いつ覚えたの?」
子どもは大人が思っている以上に、大人のことを観ているし、感じています。
大人として、保育者として、一人の人間として、
どう在るか。
それが問われているような気がします。
読んでいただき、ありがとうございます。
〈引用元〉
『育ての心(上)』倉橋惣三|フレーベル館