MENU

【節分】子どもを脅しで動かす。鬼よりこわい保育士。

どうやら、いまだに鬼を使って子どもを動かそうとする保育士がいるらしい。

 

構造は「脅し」。

 

特に、節分とクリスマスは、子どもを安易にコントロールできる要素が大きいため、保育士の在り方が問われる。しかし、子どもに言うことを聞かせる道具のように、嬉々としてサンタや鬼を使う保育士の話を聞くことがある。

 

そんな不適切な関わりを「節分」で見ていくと以下のような保育士像が見えてくる。

 

  • 「鬼がくるよ」などと言って、子どもを脅しで動かす保育士
  • 泣かせることが目的になっている保育士
  • 泣いている子どもを見て、面白がる(嘲笑する)保育士

 

子どもが怯えて泣く様子を笑う。その姿を「かわいい」と言って済ます。

勝手に怖がらせて泣かせて、「がんばったね」と子どもに伝える、あまりにも理不尽で配慮のない関わり。

 

鬼よりこわい所業。

 

保育は倫理観に裏付けられた専門的な知識で営むことが原則で、このような配慮に欠けた不適切な関わりをしているのなら、それはもう「保育」とは言えない。

 

保育以前に、人としてどうなのか?が問われる。そして、大人としてもあまりに未熟すぎるだろう。

 

困ったことは、本人は「そんな考えではない」と言うことが多いことだ。不適切だという認識が不足しているうえに、これらの行為には、自分さえよければいいという考え方や、子どもや自分自身に対する不信などの背景がある。

 

もちろんそうなっている何かしらの理由があるかもしれないが、だからやっていいとはならない。

 

自分の至らなさ、未熟さに目を向け、そんな自分もいるんだなと認めて、「じゃあどうする?」に向かっていく必要があるだろう。

 

しかし、それが必要な人に限って言い訳ばかりで学ぼうとしないのが特徴だ。一方で、子どもを想い適切な関わりをする保育士が頭を悩ませ、心をすり減らす状況があると聞くと、本当に胸が痛む。

 

ここからは、子どもの人権を軽視して脅して子どもを動かすことに満足しているような保育士を「あなた」と称して書いていく。

 

子どもを脅しで動かす保育士のあなたへ

もしも、あなたが「鬼がくるよ」と脅して子どもを動かしたり、怖がらせて泣かせて満足したりする保育士で、あなた自身がまったく変わるつもりがないのなら、他者の人生に関わる保育のような仕事からは離れることを推奨します。

 

そのままでは、ただ資格を持っているだけで、保育には不向きだと言わざるを得ません。

 

子どもが本来持っている可能性を奪い、子どもの「今」と「未来」に与える損失があまりにも大きい。

 

あなたのような保育士は、よくこんな言葉を使います。

 

「子どもたちと信頼関係があってやっているからいいんです」とか、「怖い体験を乗り越える経験も大事なんです」などという正当化。

 

築いてきたのは信頼関係ではなく、支配関係ではありませんか?

 

子どもは、保育士が怖さを”あえて”仕掛けなくても、生活の中で自分なりに怖さや不安と出会って向き合い、乗り越えようとする経験を重ねています。その姿に気付いて適切なケアやサポートをするのが私たち保育士の専門性です。

 

保育士があえて子どもに怖さを与える行為、それは「暴力」です。

 

もしそのことに気付いていなかったのなら、今から変わり始めてください。

 

あなたのような保育士が子どもと関わる際に、「何があって、何がないのか」という視点でとらえていくと、見えてくるものがあるかもしれません。

 

■脅しや人権を軽視する保育士に「ある」もの

・驕り ・傲慢さ ・子どもを下に見る

・自信のなさ ・大人のノリの押し付け

・同調 ・他責思考 ・不満

・見栄えを気にする ・バイアス

・否定 ・卑屈 ・情緒で動く など。

 

■脅しや人権の軽視する保育士に「ない」もの

・自分と向き合う ・ストレスを適切に扱う

・謙虚さ ・自己制御 ・学び

・健全な絶望 ・配慮 ・専門性 ・観察

・確かな知識 ・主体性 ・発見 ・気づき

・対話 ・探究心 ・承認 など。

 

子どもの可能性を奪うことが感じられるのではないでしょうか。

 

これまで損失を生んできたことに気付いた場合は、目を背けたくなるかもしれません。

 

あなたが変わろうとして、尊重や受容、信頼関係の保育をしようとすると、これまで支配関係に基づく保育をしてきた分、子どもたちは支配からの解放で収集のつかない様子が出てくるかもしれません。

 

そうなると、変わろうと思っても、そこで元の支配関係に戻るケースが非常に多いです。しかし、よりよい変化をつくっていきたいと感じたあなたがいたのなら、そこを乗り越えていってほしいと思います。

 

そのために伝えたい点はいくつもありますが、長くなってきましたので、まずはこちらの記事を読んでみてください。質問や相談を個別にいただいても構いません。

team-s-go-on.hatenablog.com

 

team-s-go-on.hatenablog.com

 

そして、非難、誹謗中傷は受け付けませんが、このブログへの批判、反論の扉はいつでも開かれています。遠慮は入りませんので、この件に関して、疑問、不満がある方は連絡をください。

 

おわりに

「子どもが現在を最も良く生き、望ましい未来をつくり出す力の基礎を培う」保育の営みには、保育士自身が自分と向き合い、学び続ける姿勢が欠かせません。

 

ここでの学びとは、苦しさ(健全な絶望)や痛みを伴うこともあるかもしれませんが、子どもの言葉、表現、気持ちなどをそのまま受け取る(=承認のあり方)ことで起こる発見や、子どもの世界をおもしろがるわくわくが溢れる学びを意味しています。

 

子どもの主体と人権を尊重して、子どもの最善の利益を考慮し保障しようとする保育士が、不適切な関わりをする保育士に時間を費やすのではなく、限りある時間を自分の意図に沿った保育の営みに使っていけることを願ってこの記事を書きました。

 

最後まで読んでくださりありがとうございます。

プライバシーポリシー&免責事項 お問い合わせ