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独立した保育士の奔走

 

この記事を書いた人

仙台市内の幼稚園で9年間勤務した後、保育現場の課題と向き合うため独立。
自分の人生をゆたかに生きる人であふれる社会を目指し、講師や保育アドバイザーとして活動。
2018年5月より保育園の立ち上げに参画。2021年3月に開園を迎え、園長となる。

 

自分で仕事をつくっていくことを決めて幼稚園を退職しましたが、想像していた以上に甘くない状況が続きました。個人事業主になる方が体験する「拍子抜けするほどあっさりと受理される開業届」には、保育士起業家と書いて提出しました。

 

その後、手書きの名刺と創業計画書を持って奔走する日々。

 

「想いは伝わるけど、契約はできない」

「実績が足りない」

「なぜそれをするのがあなたなのか?」

 

保育現場へ貢献していくアプローチとして、内側からだけでなく、外側から関わる立場を取っていきたいと思っているものの、厳しくも当時の私に必要な言葉をたくさんいただきました。

 

収入がない月が続き、笑われることもり、諦めそうになることもありました。

 

それでも動き続けられたのは、話を聴いてくれたり応援したりしてくれる人たちに支えられたからでした。

 

今回はまだ仕事がない頃、持ち歩いてた創業計画書の1ページを紹介します。

 

読み返すと、手直ししたい部分がありますが、当時のままにしています。

 

創業計画書に書いた「コンセプト・ビジョン」

 

目指す組織

「自身の成長や変化を捉えながら、よりよい保育を探求し続ける組織。」

 

 

進歩なく停滞した時に、専門性が下落する。

少しでもスキルを上げて行こうとする姿勢から水準を保てる。

無藤 隆先生(白梅学園大学院特任教授)

 

 

魅力ある仕事のはずなのに、メディアで取り上げられる内容は、マイナスな面がほとんど。「子どもをあやす」「楽しく子どもの相手ができればいい」というかつての、保育士や幼稚園教諭についての固定概念から、変わってきているものの、保育や幼児教育の質の中身までは一般的に理解はされていない現状があります。

 

現場では、「負担だらけだが、何かが変わると思わないし、自分で変えようと思わない」という声や、向上心があっても日々の業務に追われ、経験からは学べるが、学生時代の知識で停まっているという話も聞きます。また、各種研修で刺激を受けても、自園の文化や風土に合わずに活かせなかったということも。

 

離職率の高さや求人応募数の減少から、中堅の人材が減る。憧れる存在ができにくく、離職率が上がる。こんな負のスパイラルに陥っている園も多くあるようです。

 

この状況のままではいけない。時代の流れとともに、教育業界全体が大きな変革期にある今、保育・幼児教育の現場でも新たなアクションを起こし、多くの保育者が感じている違和感と向き合っていくべきだと、私は思っています。

 

人と関わる仕事から、属人的な側面が多くなり、標準化するべき業務との境目が曖昧になっていたり、一般的なマネジメントや組織運営を学ぶことなく立場が変わっていき、指導や運営に苦労している。それをその人個人の努力だけに任せていていいのでしょうか。

 

そこで、新たなポジションを用意することで、円滑な組織運営、課題に向き合う仕組み作りを現場単位で行っていくことができると信じています。

 

その結果、先生方の働く意欲が高まり、子どものとってよりよい環境が作られ、保護者は専門性の理解が深まることで子育てがより楽しくなり、求人応募数の増加、離職率の低下…こんな好循環を生み出していきます。

おわりに

人生の大きな分岐点のひとつに、独立当初の奔走期間があります。迷走とも言えるかもしれないほど、愚直に進もうとしていた時期です。

 

もっとうまくやる方法があったのだと振り返れば気づきますが、あの頃に経験したことや学んだことは糧になって「今」と「未来」に繋がっていくのだと感じています。

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