「保育に正解はない」
あるときは保育者を救うが、あるときは保育者を苦しめる。
「正解はいくつもある」とやや前向きな印象にすることもできる。しかし、中身はそんなに変わらない。
本当に正解はないんだろうか?
幼児教育、保育の道を歩んで、十数年。どんな子にも当てはまる手法など存在しないし、目の前の子どもを経験則から理解しようとすると見誤ることなどから、たった一つの正解はないことを実感してきた。
子どもの生活に即した、子どもから出発する保育において、1人ひとりに寄り添った関わりや個を尊重するあり方となるのは、自然なことである。そこから「正解はない・いくつもある」という表現となるのは多くの人が納得するところだろう。
しかし、「正解がない」ことを、「なんでもいい」につなげているケースもあるようだ。痛ましい事件を知る度に「正解はないかもしれないが、不適切はある。」と強調してきた。
ここをもう少し詳しく書いてみたいと思う。
保育を営む上で前提となるのは、保育所保育指針である。
「子どもが現在を最もよく生き、望ましい未来を作り出す力の基礎を培う」ことを目的として、保育は行われる。これは全国、どの現場でも共通している。それは、「保育所は、子どもが生涯にわたる人間形成にとって極めて重要な時期に、その生活時間の大半を過ごす場」だからである。
共通する目的や目標、基本原則に沿った保育内容はある。
しかし、定員数、設備、地域性、職員数など、現場の実態はそれぞれである。
そこで、指針にある基本原則に関する内容を踏まえた上で、「各保育所の実情に応じて創意工夫を図り、保育所の機能及び質の向上に努めなければならない」と、保育指針に書かれている。
つまり、外してはならない基本原則があるのだ。
それを放棄して、「正解がない」を盾に好き勝手するのは保育ではない。それは間違っている。こう言って差し支えないだろう。
保育の営みにおける原理原則を踏まえ、実情に即した創意工夫。
原理原則をしっかり学び、掴む。
実情をとらえた上での創意工夫。
これは、ぱっと考えて選択できることではない。たゆまぬ観察と対話、仮説と検証の繰り返し、機能する振り返りなどを続けることでしか本質は見えてこない。
そんなの当たり前だと思う方もいるかもしれない。しかし、ここの扱い方を知らない、または苦手としている組織(保育現場)が見受けられる。
そこまで丁寧に質の向上にかける時間を確保できない現状もあるだろう。
正解のなさ、多数の正解は、その時々に最適解があると言い換えることもできる。
状況に応じた最適解は、臨機応変な対応と表現されるかもしれない。
原理原則を踏まえ、実情に応じた創意工夫のもと、周到な準備がされて初めて、臨機応変な対応が可能となる。
準備がなく、思いつきで対応するのは「行き当たりばったり」なだけである。
繰り返すが、時間が十分に取れないという課題を抱えている現場は多い。職員間のコミュニケーションが要因となっていることもあるだろう。
課題の解消や解決に向けてできることをする。これは当然のことだが、限られた時間をどのように使うか。こちらのデザインも同様に大切になる。
前者は事例を増やしていくことで、手の届く範囲から違いをつくっていけるかもしれない。後者は、全国どの現場でも使えるツールを構想している。3年~5年はかかる計画となるが、実現に向けてコツコツとやっていこうと思う。
今すぐなんとかしないといけないようなケースの方もいるだろう。解決へ力になることは難しいかもしれないが、SNS等からで構わないので連絡をしてもらえればと切に願う。