「これぐらいは大丈夫だろう」
これは、負の成功体験の積み重ねによる油断である可能性が高い。
例えば、先延ばし癖のある人。
先延ばしにしても、期限ギリギリにやっても、
「なんとかなった」
「間に合った」
という成功体験。
このとき、達成感や高揚感を味わうだろう。
しかし、ギリギリになると無理をする必要があるし、間に合わなかったときに周囲や自分に与える影響を考えたら避けた方がいいのは明らかだ。
「次はちゃんと計画してコツコツやろう」
そう誓うのだ。
だが、なぜだろう。
コツコツやることなく、時間だけが過ぎていく。
無意識にあのヒリヒリ感からの高揚感を欲しているのかもしれない。
気づけば、手足を動かさず、手をつけず、期限ギリギリの状態を「自分で」つくってしまう。
なんとかなってしまう。
そうして、負の成功体験が積み重なっていく。
負の成功体験に無自覚な人が残念なワケ
これは誰にでも起こる。そう信じたい。
私自身は20代の頃に、やるべきことになかなか手をつけられない自分に大いに悩んだ。
悩んでると言っている時点で「本気」でなんとかするつもりはなかったのかもしれない。
「たぶん大丈夫」という怪物級の無意識が自分の中で立派に育っていたのだ。
30代に入り、この怪物級の無意識をパートナーにすることを目指した。
自分に起こっていることに目を向ける。
まずは、ここをスタートにする。
そして、なんとかなったのはたまたまで、負の成功体験だったんだと認める。
なんとかなっただけで、マイナスな影響が起きていたことを振り返る。
負の成功体験が積み重なるときに起こる影響は次のことが挙げられる。
・自尊心や自信が身をひそめる
自尊心や自信は、負の成功体験を元にした行動と相性が悪いので、いつまで経っても誰かのせいや何かのせいにしたり、現実を見ないで快楽の方に流されたり、自分に推進力を生む心持ちが生まれにくい。
・他者の足を引っ張る
「自分の足が踏まれることには敏感。相手の足を踏んでることには鈍感。」の状態に陥りやすい。
自分の快楽のことばかりを気にして、相手の視点に経つことができない。
・やる気が出ない
やる気のようなものが勝手に湧いてくることはない。
直接関係しているかどうかに関わらず、「やり始める」しかやる気のようなものが出てこない。これは間違いないのである。
・信頼されない
積み重なった負の成功体験が判断基準になっていることに気がついていないと、快か不快か、間に合うかどうかなど、本質的な目標や目的から離れている現実を見れなくなる。 結果の質が一定でもなければ高くなることもない。本当の信頼が醸成されるわけがないのである。
負の成功体験を手放すには?
負の成功体験は誰しもにあるので、自覚して手放すしかないのだが、
「怪物級の無意識」なので、
早めに手を打つか、育っていたら時間をかけてトレーニングを積むしかない。
こういうことができないから育ってしまうのだけれど、文句や愚痴ばかりが出る日常になっているのだとしたら、周囲の人とご自身のためにも目を醒ます必要があるだろう。
強めの表現をするのは、私たちにとってそれほど強力な影響を及ぼすからである。
けれど、それほど強力なものがパートナーとなったら心強いのではないだろうか。
①振り返る機会をつくる
対話 > 書く >>>> 頭で意識する(意味がないとは言えないが効果は低い)
対話ができたら最も効果が高い。書き出すだけでも整理されるだろう。
何を振り返るか。
「きっと大丈夫だろう」が出てきたら、負の成功体験があったかどうかに少しだけ思いをはせてみる。
②目的を意識する
それを確かめるためには、目的志向に慣れていく必要がある。
「誰のなんのためか?」
「私は本当はどうしたいのか?」
問いを立てることを意識するだけでも、手応えはないかもしれないが、見えない変化が起きている。
見えない変化を信じられるかどうかも、負の成功体験を手放すのに大切な心持ちである。
「そうは言っても…」
ここを超えるのは容易ではない。
抵抗感がある自分に許可を与えて、
前進する自分に許可を与えて、
違いをつくる自分に許可を与えて、
ほんの少しずつ、正の成功体験を積み重ねていきたいものである。