[目次]
主体性は「豊かな受動」から生まれる。
【主体性】
自分の意志・判断によって、みずから責任をもって行動する態度や性質。
学校教育や保育の現場で
主体性を考えるとき、
「自分から動く」といった
能動的なところに焦点が当たりすぎてはいないだろうか?
自分で考えて、「やりたい」を表現して取り組んだり、適切に判断したりする。
これはたしかに現代を豊かに生き抜く感性や力において、必要な要素になってくる。
しかし、「主体的な学び」を表面的にとらえ、能動的に動いて積極的な姿ばかりを主体的だと評価するようなことが起きていないだろうか?
そこで、忘れてはいけない視点がある。
それは、見られる姿が受け身な状態のとき、
安易に「自分から動ける」ように促していないかということ。
「表現させよう」と躍起になってはいけない。
このとき確かめたいのは、主体性が生まれる「前の段階」がどのくらい充実しているか。
能動的な場合にも、内側と外側のバランスに気をつけたい。
見えている部分では、能動的で意欲的。しかし、実のところは先生の中に答えを見出すなど、誰かの正解に沿った行動の濃度が濃い場合がある。社会的動物である私たちにとって判断基準にいろいろな関係性があらわれるのは自然なのだけれど、大人側がそれに無頓着だと、偽りの前進をつくってしまいかねない。
それは、子どもをコントロールすることに快を感じて、「自分の関わりがうまくいっている」という勘違いへとつながる。子どもも褒められて喜ぶ。表面上はとても上手くいっているように見える。
でも、行動の源泉が「誰かの正解」に寄りすぎると、深い学びの尊さに触れることはなく、快・不快の世界で生きていく素地が築かれる恐れがある。
快・不快の世界で生きるとは、反応や情緒で言動を選択しすぎる(感情を味わうこととは別です)人の特徴である「他者への尊重がない・相手側の視点が抜けている」ような自分勝手な人生だと言える。それでも世の中の正解に沿って生きることが「成功」とされていた時代ではある程度それが通用していた面もある。
しかし、現代ではどうだろうか?
情報過多で、複雑で不確実な現代を生き抜く力は、私たちが体感として持っているものからシフトすることを余儀なくされている。
選択する力が求められる中で、個性や自分らしさが以前にも増して重視されるようになったことは、大変な面もあるが、豊かな前進だと思っている。
違いが受け入れられない文化から、違いを認めようという声が大きくなった。
そして、「違いがある」が前提になっていき、違いをそのままにして、ともに生きていく時代になるのだと信じているし、そうなるように生きていきたいと思っている。
そして、この問いに向き合う意味が大きくなってきた。
「いかに自分の人生を生きていくか」
「私はどうしたいのか」
主体性を発揮する。
主体的に生きる。
聞こえはいいのだけれど、苦しさを感じる人も出てくるのではないだろうか?
そう、「自分の人生を生きる」には、向き合うのにパワーが必要だったり、コツを知っていることが求められたりするのだ。
声高らかに理想を叫ぶのではなく、大人にとっては、この枠を越えていく努力が必要になっている。
そして、子どもはそもそも、その枠を越えたところに生きている。
子どもが本来持っている育つ力のひとつである「子ども自身が自分の興味・関心・欲求・衝動に基づきながら、主体的に周囲の環境と関わる」要素。これを奪わない環境づくりをするための、学びやトレーニングが先生に求められるのである。
主体性の種は外側にあり、内側で醸成される。
外の世界(=身近な環境)にある何かに、好奇心がくすぐられる。
何に興味を持つかも「自分らしさ」の種である。
その子のその時にしかない出会い。
「初めて」の瞬間だけではなく、毎日やっていること、よく使っているものでもその日だけの出会いがある。
心が動く体験。
体験を味わう時間。
味わう「間」、味わう「余白」は大切にされているだろうか?
心の機微や内側で起こる感動を(泣いたり表面的な感情の表現だけを意味するのではなく)じっくり味わって、発酵されていく時間。
考えることにも「間」は欠かせない。
その先に、表現として外側に押し出されていく瞬間が訪れる。
それが主体性の生まれる瞬間なのだ。
大人に引っ張り出されたわけでも、刺激にただ反応したわけでもなく、子どもの内側で醸成されたプロセスを経て、外の世界に出てくる豊かな表現。
この体験を重ねることは、「自分の人生を豊かに生きる」感性を磨いていくことに他ならない。
こういった主体性の発揮の先に、他者や世界、そして自分自身との豊かなコミュニケーションがあるのだろう。
保育者として何ができるのか?
もしも、ある子どもへ、もっと主体的に行動してほしいという願いを持っていたとしてら、「具体的な方法を仕入れて、すぐにやってみる」をスタートに持ってくるのは避けた方がいい。方法論を先に持ってくると、偽りの前進を生みやすいからだ。
方法に頼ろうとするとき、求めているのは主体性ではなく、「先生にとって都合のいい行動」かもしれない。
とはいえ緊迫した状況であれば、行動を促したり変えたりするアプローチを先にする選択はもちろんある。(子どもの健全な育ちに配慮したうえで、不適切ではない選択を)
そうでない場合は、短期的な変化を求めてはいけない。先生にとっては手応えを感じやすいのだが、子どもの人生を豊かにする教育とは言えない。植物の葉を手で引っ張って伸ばそうとするように、「急に伸ばす」に無理があるには明らかだ。
しかし、ただ見守って待つだけで事足りるのだろうか?
そうではない。
その点を考えていくうえで、いくつかの側面が必要になる。
- 子どもが「1人の人間としての主体」「他者とともに在る主体」として尊重される
- 保育者・教育者の主体性
子どもの主体的な活動が保障されるためには、先生側の主体性が必要になってくる。
先生側の主体性とは何か?
子どもをよく見つめながら、子ども側の視点から子どもを理解する。それを持って先生自身が自分の教育・保育に対して主体的に取り組んでいく姿勢を持つ。
子どもの豊かな受動を受け取り、その芽吹く瞬間をキャッチし(そのための観察でもある)、環境(空間・人・素材・出会いなど多岐にわたる)を再構成していく。
コントロールではなく、子どもを尊重する意図を持ち、支配するためではなく、子どもが主体的に深く学ぶ計画を立てていく。保育の現場では、遊びの充実が観点になってくるだろう。
遊びがどのくらい充実しているかを掴むためにも、自身がどんなフィルター越しに子どもを見ているかに気づくところからいつも始まった方がいい。
子どもの「見方」に問いを立て、あり方を整える。
見方が変わって、あり方が変わるだけで、先生自身のほんの些細な行動や雰囲気に違いが出て、空間も変化していくことがある。
そうなるだけで、子どもの言動が自然と変わっていく事例をこれまで見てきた。ここでの変化とは、大人の感性が開いていないと気づかないようなささやかなことも含む。変化ではなく、元々あったのだけれど、これまでは見えていなかったことの発見も増えていく段階となる。
主体性を大切にするあり方へ大人が変わると、大人から見て困った行動が、ぶわっと出てくるケースがある。それは、これまで主体性を尊重されていなかったことのあらわれでもある。そこで元のやり方に戻っては意味がない。その先にいく姿勢が、個人にもチームにも必要になる。
大人も、よく間違うし、大事なことを見失うし、分かっていても天邪鬼な行動を取ったりする。そういうものだと自覚して、自分自身に手を打っていくのが、私たち大人に必要なのだと思っている。
おわりに
主体性が外に押し出されていく空間にあるもの。それは安心感である。
「安心感だけが人を動かします。
人を責めたり、裁いたり、評価したり、批判するのは、あなたの仕事ではありません。
いずれにしろ、それらによって、相手を変えることはできません。
だれもあなたの期待に添うために生まれてきているのではないのですから。
人に変化を強要しても、ただ、反感を買うだけです。
それが、どんなに正しく、相手にとって、いいと思われることであったとしても。」
— こころの対話 25のルール (講談社+α文庫) 伊藤守著
豊かな受動を味わう余白が保障されている安心感が、ほんとうの意味での主体性を生むのかもしれません。
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【主体的・対話的で深い学び】について
主体的な学び
・自分からやりたいと思い、本当に知りたいことを、自分が主人公になって学ぶこと。
・学びに興味・関心を持ち、取り組みを振り返り(反省ではなくリフレクション)、次につなげる。
対話的な学び
・自分だけで解決しようとしないで、他者をしっかりとくぐって学んでいこうとすること。
・子ども同士の協働、教職員や地域の人との対話、先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ、自己の考えを広げ深める。
深い学び
・「そうか!」と、心が動かされ、腑に落ちるような学び。それまでの知識と新しい知識が結びついたとき生まれる「わかった!」と思えたときの体験は、自分の中に学びを深く定着させる。それは、いざというときに応用できる力、想定していないことが起こっても乗り越えられる力となる。
〈参考文献〉
・「天才」は学校で育たない (ポプラ新書) | 稔幸, 汐見 |本 | 通販 | Amazon
・さあ、子どもたちの「未来」を話しませんか: 2017年告示 新指針・要領からのメッセージ (教育単行本) | 稔幸, 汐見, けいこ, おおえだ |本 | 通販 | Amazon
・Amazon.co.jp: こころの対話 25のルール (講談社+α文庫) eBook: 伊藤守: Kindleストア
・主体的な活動を育むための保育者の関わり ─ 5 歳児の事例から ─|池田 純子
立教女学院短期大学紀要第 49 号(2017)抜刷
https://www.jstage.jst.go.jp/article/stmlib/49/0/49_89/_pdf/-char/ja
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主体性は、受動から始まる。
— 石川 聖|ほいくスタジオ (@ishikawa_noie) 2020年9月9日
豊かな受動から、心が動き、体験を味わい、豊かな表現として現れる。目に見える表現を急かすような環境では主体の所在がずれていく。
「主体性」って発散じゃなくて、発酵や醸成のイメージ。
この味わい深く、派手さのない地味〜な教育の専門性に魅せられています。